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他人を批判する前に考えたほうが良いこと

愚かなる半端者たち

僕自身はあまり人から批判を受けることがないが、その場にいない誰かを批判している場に出くわすケースは非常に多い。別に僕の周りで多いというわけではなく、僕自身は不満や批判は当人に直接言ってしまうタイプだし、そういった場の空気に過敏に反応し、ストレスを感じてしまうからだろう。 そして僕がストレスを強く感じてしまう最たる原因は「ちゃんとわかっていないくせにそういうことを平気で話してしまう」こと。人を批判するということは結構ハードルが高く、責任もキッチリと発生するのだと言うことを自覚するべきだ。

他人についてネガティブな感想を述べるべきではない。

ちょっと考えてみてほしいのだが、あなたにとって大切な人が批判するべき内容を保持しているとして、あなたはどう行動するのか。ほとんど全会一致で「ちゃんと考えた上で直接話してみる」となるのではないだろうか。

そもそも他人にそこまで介在して良いものではない。見ず知らずの人ならなおさらだ。その人があなたから見て気に入らない行動をとっていたとして、それに抵抗しようとした時に、無関係・関係のいかんによらず他人を巻き込むべきではないのだ。

それでも自分の力だけでは討論できないと踏むならば、相談を持ち込む場所はすでに用意されている。 知人や友人に相談する場合でも、「その人を貶めるような言い回しや誇張した表現を用いること」はすでに暴力的であり、稚拙な行いそのものとは言えないであろうか。

やられたらやり返すのでは一生戦争はなくならない。

相手がなぜそうなってしまったのか。の部分をしっかりと考察するべきであり、その考察の時間は他人と過ごすべきではないはずだ、DMM FX 口座開設キャンペーン 最大20,000円キャッシュバック


責任を伴う批判

僕にとっては相手の価値を自分が腹立ったと言うだけで他人を巻き込んで貶めようとする行為は「幼稚」と断ずるに一片の咎もないが、どうしてそういう人が多いのか。

昔から世界はゴシップが大好きらしいが、僕は常に嫌悪感を隠せない。みんな仲良く、怒るよりも許すことが尊いと習わなかったのか。殴るよりも抱きしめろ。

役所で税金泥棒と罵られている職員は労働の対価として給料をもらっている我々と何が違うのか。(違わない)

国民的アイドルがした不祥事が不起訴処分になったのにあそこまで叩かれるのはなぜなのか。

人から羨ましいなと思われている人ほど、物事の本質とは別の部分でちょっとしたミスが命取りになるような扱いを受けがちだ。

人の最も愚かな性質は嫉妬心だと僕は考えているが、嫉妬しているなら嫉妬を克服する努力をすればいいし、それが叶わないのなら素直に賞賛を送り敬意を払うべきだ。

自分にできないことを成し遂げているというだけで目の敵にされる覚えは当人たちにはないだろうし、それではあまりにもかわいそうだ。

他人の不幸で酒を飲んでいるような奴らのために努力してきたわけでもなんでもない。おもしろ可笑しくおもちゃにされる必要はないのである。

そういった類の人間は人とろくに目も合わせられないような生産性の無いとるに足らない者たちだ。ただ厄介なことに数だけはたくさんいる。数の力さえも自分の力だと曲解し信じ込んでしまうタフネスさを持ち合わせているのだから手に負えない。

 

批判の的になってしまうような人とは基本的には実力者なのだ。

それが天使でも悪魔だったとしても。

あなたは人をちゃんと責任をもって批判できていますか?

 

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