順応性 郷に入れば郷に従え その上での個性

自分と他人とで構成された世界

これ以上ないくらい当たり前のことだが、この世界は自分と他人しか存在しない。関係性は抜きにして絶対の理だ。 血縁関係や家族関係も広義において他人であり、自分ではない。 生まれた瞬間から自給自足を行える人間は存在せず、100%自分だけで生を全うすることは理論上不可能だ。 となれば他人と関わって生きるしかなく、そこに選択の余地はない。稀に己の人生に変わった達観の仕方をして山に篭ったりするケースもあるだろうが、それでも真に他人との関わりを断つことは容易ではないといえる。

下手に生きるか、上手に生きるか

とにかく他人様と関わらないといろんなことが不自由で命さえ危ぶむ状況となることがわかった訳だが、「人と関わりたくない」願望を持つ人は多い。 お金やわがままを駆使することで他人との関係を遠ざけ、一人の時間や空間を作ろうとする。

それはそれで良いだろう。が資産や信頼は減る一方だ。

この世界で我々に生物として与えられたルールと社会のルールを考えた時、他人様と上手に関わる方が非常に多くの恩恵にあずかることができるだろう。であればいくつもある人間の処世術の中の一つであり、随分重要なピースとして「順応性」は外せない。

「人見知り」という言葉をよく聞くが、この言葉を盾のように扱う人は苦手だ。僕自身どちらかといえば「人見知り」の部類だろうけど、どこの誰が相手でもちゃんと向き合うことが出来る。

向き合った上で「好き・嫌い」を判断する。 それが仕事となればなおさらだ。

では社会生活の中で最も順応性が求められる環境はなんだろう。 それは職場ということになる。

人生のほとんどの時間を過ごし、ほとんどのケースの場合多くの他人がひとつの括りの中に共存する。 そこには上下左右に指揮系統のための関係性や年齢・性別あらゆるアイデンティティーが同時に存在するカオスだ。その中に自分を溶け込ませる必要がどうしてもある。 もちろん一匹狼を自負するのも結構だが、残念ながらそれでは他人に迷惑を掛けているだけなので、ぜひ退場したほうが良い。

ちゃんとひとつのコミュニティのルールを重んじ、理解し、従う。それが順応性だ。

そして個性とはコミュニティの中で発揮させようとするならば、間違いなく順応性ありきで発揮させねばならない。

そうでない個性とはただの「わがまま」でありただの損害発生因子にすぎない。



日本語の語彙が多すぎることに起因する悪いところのひとつが浮き彫りとなった。

曖昧さとは人間のみが持つ非常に重要な能力で、揺れ動き飛躍する思考から答えを導く。それは日本人の繊細さを担保する重要なピースではあるが、曖昧さを曖昧なまま人に渡してしまうのはよくないのだ。

曖昧さの中からピシッとピントのあった明確なプレゼンスをすることが肝要となる。

順応性を最短で発揮するためにも相手やコミュニティのルールの中で自分のあり方を再確認してみると、とても有意義な結果がもたらされるはずだ。


※この記事は2018年5月15日に投稿したものとなります。おかげさまで読者様が増えて参りましたので、今後定期的に過去記事をご紹介させて頂きます。

TALK BACK  読者様の暇つぶしになれば幸いです。

 

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