勘 について考えてみる 直感と統計と予想

人間の 勘 は決して漠然とした不確定要素ではない

国語辞典には ”物事を直感的に感じ取る能力 第6感” と書いてあります。

では直感の根源ってなんだろうなって思ってしまいます。

大まかには2種類あってその2種類は一緒にしてはいけないもののはずなんですけど、ほとんどの場合同じものだとして扱われてしまっています。

一つは未経験発・もう一つは経験発

未経験発の場合瞬間的に判断を迫られた時にとっさに発する決定で、完全な不確定要素を含みます。これによってもたらされた結果については全く当人の実力と無関係であり、今回考えてみることとは別の 勘 です。

もう一つは経験済みの事象の場合の 勘 です。

これは非常に興味深いのですが、本人のそのことに対する経験値や、類似する経験、あるいは全く関係のない経験の統計標本が元になって、瞬間的な判断を迫られた時に頭で思考するよりも早く下す判断です。

ちょっと難しいですけど、頭が勝手に判断する。が一番しっくりきます。

そしてこの判断に関しては人間が自分を守ろうとする基本的な構造にウエイトがよりがちですので、一般的には「安全策」の結論が多い。

体調が悪い時や、心に元気のない時の勘は大抵がネガティブな発想を含んでおり、大抵の場合うまく機能しません。

以前の記事でも書きましたけど、人間は脳みそのほとんどの部分を使えていないそうですよね。でもおそらく直感としての結論を出している部分はその辺の脳みそだと考えています。

日々の自分の経験を正しく分析して観察し、頭にストックしていくことで瞬間的に導き出せる勘の精度って高まっていくと思うんです。

もちろんじっくり考えられるに越したことがないのはいうまでもありませんが、せっかく積んでいる高性能な脳みそを使いきれないまま終わってしまうのはとっても勿体無いと思ってしまいます。

人間はよくわからないものをスピリチュアルなものであったり、超能力みたいな分類をしがちですが、全ての現象には必ず理由があり、その理由の部分が明らかになってしまえばなんていういうことの無いものがほとんどなのです。

わからないものをわからないままにしないことが、普段意識できない頭の正しい使い方につながると僕は思っています。

自分が得た情報や知識を正しくインデックスしていく作業こそが、意識できる脳みそに与えられた仕事であり、人間の意識できない部分の思考スピードはおそらく異常なほど早いのです。

考えてみてください。車を運転していて、突然ボールが転がってきたら。

あなたの体は間違いなく考えるよりも素早く緊張し、アクセルに乗っていた右足はブレーキ操作をするために左に動き、ハンドルを持っている腕はボールの進行方向に動き、目はボールが出てきた方を向いて(子供が追ってこないか)、手が滑ってしまわないように手汗をかきます。

これ、考えてやっている行動ならば、毎日世界中でとんでもない数の交通事故がおきます。

車を教習所で初めて運転したその日から車の運転に対する経験値は高まり続けて、教本を読んでテストした知識も経験を補完するために機能します。

それが思考スピードを超えた「正しい判断」を下すのです。

普段学習、経験することは、落ち着いた環境で考えを巡らせる時にももちろん重要なインデックスとなりますが、実はもっともっと重要な部分に使われているのかもしれないという事を意識して、頭を整理することが本当に重要なんじゃないかと考えています。

最短でベストの判断。

それは頭が勝手に思考してくれるものだったとしたら

とんでもなくロマンがありますよね。

だから僕は日々の経験を振り返って観察し、分析し続けています。


※この記事は2018年2月28日に投稿したものとなります。おかげさまで読者様が増えて参りましたので、今後定期的に過去記事をご紹介させて頂きます。

TALK BACK  読者様の暇つぶしになれば幸いです。

 

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