気持ちのやりとり。してあげられることとしてもらえたこと

台湾で大きな地震がありました。

一部で建物が倒壊し、お亡くなりになられた方や、怪我をしてしまった方も出ていると報道されています。

以前、東日本大震災の時、米国についで多くの寄付をしてくださったのは台湾という国でした。みなさんは台湾という国をどのぐらい知っていますか?なぜ台湾は日本を助けようとしてくれたのでしょうか。

ガンバレ台湾

世界には親日とされている国が何カ所かあります。

歴史を紐解くと、現地にいた日本人がとった行動に感謝してくださって、何世代にも渡ってその恩義を感じ、語り続けてくださっているからなのです。

直接本人に関わりがあったわけでもないのに。国民の共通認識として、「日本に世話になったんだ。と感じてくれているということ。」

よく安っぽいドラマなんかで、「君が大変なときは地球の裏側にいたって飛んで駆けつけるから」みたいな。

ただの台本にある薄っぺらな台詞ではなく、彼らは文字通り、世界の裏側からでも自分の先祖が日本人に受けたその恩義を果たそうとしてくれているのです。

日本人でそのような素敵な気持ちを持っている人はどのくらいいるでしょうか。

不安定な均衡の上に成り立っている現在の地球では、ファンダメンタルズ的にもテクニカル的にもすぐに亀裂が入ってしまいます。

誰がいつどうなってもおかしくないということです。

そして「たまたま自分ではない誰かの不幸」に直面したときにとっさに自分がとる行動こそが本心ということになります。

日本における現在の教育では、挨拶やお礼を教えるときにそれらのケースでしか教えません。「こういうときはありがとう。こういうときはごめんなさい」

でも本質は違うじゃないですか。

なぜ、挨拶するのか。

なぜお礼をするのか。

条件反射的に出てくる言葉や態度になんの気持ちも入っていないのは当たり前のことなのです。

そういう風に育ってしまうと、同じ条件で相手が挨拶やお礼をしなかった時にケースしか当てはめるものがない彼らは相手を一方的に非難します。

「あいつは挨拶もお礼もできないやつだ」と。

そうじゃないかもしれないケースを全く想定しようとしません。

「もしかしたら、僕は彼に不快な思いをさせているのかもしれない。彼には理由があるのかも」と。

日本人は人に対して気持ちをあげることが苦手です。そしてほとんどの人が直接的に見返りをセットにしてそういう行動を起こします。

それは非常に悲しいことです。

僕の大好きな先輩はあるとき言いました。

「そいつがいつか思い出して俺ではない誰かに俺がしたことと同じことをしてくれたら嬉しいんだ」と。

その考えは、まさに世界基準です。

気持ちをあげることと見返りを期待することは全く違います。

出資からリターンを期待することとは全く違うのです。

僕は日本人が世界一優しい民族だと思いたい。

そしてその資質はこれからでも開眼するはずなのです。

誰かに言われてやることではないのです。

誰も見ていなくてもゴミを拾いましょう。

恥ずかしがらずにお年寄りに手を貸しましょう。

今困っている人に自分ができる事がないか。あなたの貴重な時間を1分だけ使って考えてあげてください。

そして何か見つかったらこっそりと優しさをプレゼントしてあげてください。

あなたの顔が見えないというのも一つの優しさかもしれません。


※この記事は2018年2月7日に投稿した記事に若干の加筆・修正を加えたものとなります。おかげさまで読者様が増えて参りましたので、今後定期的に過去記事をご紹介させて頂きます。

TALK BACK  読者様の暇つぶしになれば幸いです。

 

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