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切り口の話 とびきりの器用さと執念にも似た諦めの悪さ

日本人が苦手とする分野

日本人はアップデートの天才と世界から評されます。

既存のものをより良いものにリビルドすることにおいては驚異的な成果を叩き出し続けてきました。

が新しいものを作り出すことにおいては決定的に苦手です。

それは固定観念に囚われたモノの見方がある意味において美徳とされてきたからに他なりません。

悪しき島国根性

とにかく人様に悪く思われないようにする。と、ちっちゃな頃から刷り込まれているもので、ぶっ飛んだアイディアや斬新な発想をあまり好みません。

お絵かきの時間でも習字の時間でも、違うのはそれぞれの名前だけで、あとは型に嵌めたようにおんなじ絵や文字が教室の壁面にびっしりとはってある光景をほとんどの方が思い出すことができるのでは無いでしょうか。

「前にならえ」は整列のための所作ではなかったということ。

「とびきりの手先の器用さと」、「執念にも等しい諦めの悪さ」という素晴らしい才能を持って生まれてきた日本人から、先代の教育は自由な個性を奪い続けてきたのです。


強力なリーダーが生まれない。

当然そういう教育を施されれば人に合わせることばかり上手になって、リーダーの役職を押し付け合うような有様なわけですが、それでも徐々にこれからは日本にも強力なリーダーが発生してくるでしょう。

歴史上の偉人はもとより、本田宗一郎や松下幸之助はもう生まれないと10年くらい前の記事で読んだことがありますが、それは半分正解で半分は間違いであると信じています。


切り口、人に合わせてませんか?

僕は小さな頃から天邪鬼なのかわかりませんが、ものの見え方が人と違うことを悩んでいました。例えばテーブルを見て皆さんはテーブルだと思うでしょうけど、僕には4本の足と板という風に見えてしまいます。

それは今でもそうで、この文章を書いているキーボードを見ても、最初の時はバラバラに認識してしまいます。「形の違うブロックが穴の空いた板から出ている」みたいな感じです。

大人になってアイディア出しを強く求められる仕事をしてきて、僕はこの資質にいい意味で気づけたわけですけど、

小さな時はなんだかみんなと違って、この見え方「切り口」が嫌だったんです。

でも環境が違っていて、僕が恥ずかしがらずに思った通りに意見できる環境だったら、また違った形に完成したはずだなと思うんです。

 

今、日本では人材の需給バランスが破綻しています。

斬新なアイディアを必要としている企業ばかりなのに、供給される人材は型通りの発案しかできないのですから。

でも元々のポテンシャルが高いのですから、今からだって、ちょっとしたことで覚醒できると思うんです。

ものの見方を今までより一つだけ多く見て、恥ずかしがらずに発信する。

それだけで眠っていた才能は開花します。

よくも悪くも決めつけてかかってしまってはアイディアは小さくまとまってしまいます。

どんな仕事にも当てはめることのできる極意をぜひお試しあれ。

 

ぜひこちらもお読みください。 ガマンしてはダメです もっと自分を大切にしましょう。

 

 


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