有益と無益あるいは損失

有益と無益あるいは損失

一般的なサラリーマンの方は毎月の所得が基本的には一定であり、まずは固定費を計算し、貯蓄額を省いて生活費などの流動的なお金を確保されていると思います。

でも本当にそれで良いでしょうか。

生涯賃金が確定しているような場合はなおさら危険な考え方です。

例えばアスリートの世界では現状のレベルを維持するってのは不可能問題です。常に向上するようにトレーニングすることでしか「衰退を防げない」からです。

現在世界は歴史上類を見ないような不安定な足場が組まれており、破滅へのトリガーを相当数の人物が握る状況を牽制という方法で保っているにすぎません。

昨日は都心部で大雪となり、案の定都市機能は麻痺し、駅に人が溢れかえり、帰宅困難者が多発。各地でけが人が出て、タイヤチェーンを道路の真ん中でつけたり、ホームセンターでスコップが売り切れる。

いやいや、どうなってるんですか。

繰り返し、あらゆるメディアが「警告」していました。

ただほとんどの人が後手の対応を選んだということが答えなのです。

ビジネスの世界では後手は完全敗北です。そして往々にして、これから起こることへの「予想」はあっても「警告」は事前に受け取れません。英知を結集してそれに打ち勝つチームが勝利を得て、次のトライへの切符を手にします。

寄りかかっている壁は崩れ、ぶら下がっている棒は錆びて、登ったはしごは外される。

それらが、起こるのです。

今こそ覚醒の時です。

人は危機に直面するより前にその予兆を感じ取ることができる生き物です。

問題が起こった場合の備え。と有識者は言います。

はっきり言ってそれでは全然たりません。

誰かが助けてくれるまでしのぐための備えなんてものは何もないのと同じです。

どうして誰かが助けてくれると信じることができるのでしょうか。

これだけ色々発展している現代。何十億人も地球の上に突っ立っていて、その首の上には今だ以ってどんなに優れたコンピュータでも勝つことのできないとんでもない脳みそを積んでいるんです。(もれなく全員!)

プレイステーションだって並列化すればトンデモ演算マシーンになるのに。

頭で考えることをやめてしまっています。

「誰か」が助けてくれるのはその「誰か」が「余力」があるからにすぎません。簡単なことです。その「誰か」の家族とあなたが崖にぶら下がっていて、一人しか助けられない状況の場合、100人中100人が家族を助けます。

それは非難できることではなく、余裕・余力がなくなった極限状態では至極まっとうな選択なのです。 子孫繁栄が人間の基本構造である以上、それは絶対変わりません。

そしてそれは小説や映画、物語の世界だけではなく、いつでも、今すぐに起こっても全くおかしくないということを絶対にディスカッションしておく必要があります。

大抵の場合「警告」はありません。

そういう状況は「突然」起こります。

無自覚に非常食セットを備蓄するよりも、頭でシュミレーションしておく方が何倍もリスクを軽減するのです。

自分で考え自分で行動する。家族との間で意見交換し、コンセンサスを図る。

自然、金融、経済、紛争、あらゆる事への理解と対処法を独自解釈する事が大切です。


※この記事は2018年1月23日に投稿したものとなります。おかげさまで読者様が増えて参りましたので、今後定期的に過去記事をご紹介させて頂きます。

TALK BACK  読者様の暇つぶしになれば幸いです。

 

ぜひこちらもお読みください コミュニケーションの限界


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