能ある鷹 は爪を隠す 出力の制限がキーワード

爪隠せていますか?

人は他人から羨望の眼差しを向けられることが大好きだ。「自分はこんなにすごいんだぞ」と過剰に表現し本人が思うリアクションを相手が取らないと不機嫌になってみたりする。自分も相手も全く幸せになれないこの行動は日々目にする光景でもある。クジャクが羽を広げて求愛するのに近い行動なのか。自分を理解して欲しくてする行動なのか、どちらにしても少々考えを改めたほうが良い。

ポジティブなことでもネガティブなことでも

やたらと他人と共有したがる輩がとても多い。そして厄介なことに彼らは「相手がとるべきリアクション」まで設定しているのだ。

それに対して受け手側が違ったリアクションをとると大抵の場合謎の烙印を捺印してくる始末。

「具合が悪い」とか「病気なんだ」のような切れ味抜群なことを家族や親友ならまだしも薄い知り合いや他人にベラベラと話しては「慰め」や「共感」を求める。

「いやそうじゃない聞いて欲しいだけ」などと素っ頓狂なことを言う者もいるが、それなら壁にでも話せば良い。(壁が気の毒で仕方ないが)

いかにも可哀想な自分を自分の欲求満たしのために他人に押し付けるのはもはや暴力と言ってもいい。やられた方はたまったものじゃない。

そんな秘密を打ち明けられたらこちらとしてはどうしても「心配」してしまうし「できるなら解決してあげたい、一緒に考えたい」 などど考えてしまう。

それは物凄い労力なのだ。それが挙げ句の果てに全くの他人だったりするのだ。

もしもあなたが苦しいならそれに気づいてくれる人が身近にいるはずだ。それは気心しれた友人であったり、恋人や配偶者、両親かもしれない。

「自分と友達だから自分の話は聞くべきだ」と勘違いしてはいけないのだ。

人に迷惑をかけ続ける人の特徴は自分の物差しでしか世界を見られない人だ。

言葉というのはよく咀嚼し吟味してから舌にのせるべきだ。相手の気持ちが手に取るようにわかり、相手も自分を理解してくれている関係とは実に心地の良いものだし、本来そのように交友できる人間とは非常に少ないはずなのである。


「あなたが強い人間だからそんなことが言えるんだ」

のようなことを沢山言われたことがあるがそれは大間違いだ。僕は自分の弱みを人に見せることが極端に嫌いだ。「弱そうに見えないから強い」のではなく「弱そうに見えないように工夫しているだけだ」

そして僕には僕が本当に弱っているときに気付いて、見つけてくれる人が「数人」いる。

それだけで僕は十分だしその「数人」のSOSに僕が気付いたら「何をおいても必ず助ける」

一人の人間にできることなんかその程度なのである。

その程度のキャパしか備わっていないのだからよくわからない人の「それ」にまで対応できるはずもない。やりたいのにできないは即ストレスにつながる。

人が人を助けたいというのはおそらく本能だ。それを「逆手にとる行為」は害悪でしかない。(自覚があろうとなかろうと)

もしもあなたのSOSに気付いてくれる人が周りにただの一人もいないと思うならその環境を作り出したのは自分自身だ。

自分勝手に生きた代償と言い換えてもいい。

辛辣で結構だ。

自分と同じくらい周りを大切にする人の周りには自然と優しい空気が流れる。


※この記事は2018年6月5日に投稿したものとなります。おかげさまで読者様が増えて参りましたので、今後定期的に過去記事をご紹介させて頂きます。

TALK BACK  読者様の暇つぶしになれば幸いです。

 

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