翔平大谷に観る、努力と成果と才能の答え

ワクワクさせてもらっている

僕自身は幼少期から野球ではなくサッカーに没頭していたので(26歳まで)野球にはほとんど携わったことはない。毎週楽しみにしていたドラゴンボールを頻繁にナイター中継に持っていかれたので、子供ながらに、怒りさえ覚えていた節がある。

野球好きの一部の大人たちは居酒屋で喧嘩を始め、周囲に迷惑をかけている。中学の修学旅行で初めて行った東京ドームで巨人戦を観戦したきり、球場で観戦したことはないが、その一度きりの観戦で、秀樹松井はキッチリとホームランを打ってくれた。綺麗な青い芝とダイアモンドを手をあげながら悠々と走る彼は今でも脳裏に鮮明に焼き付いている。

細かいルールまでは知らないが、楽しく観戦できる程度には知っている。

僕はイチローが大好きだ。イチローが渡米してからしかあまり知らないが、ニュースに名前があればスポーツ新聞を買ってでもチェックしたものだ。

スレンダーで派手さもなく、英語も話すことができない。文字通り極東の島国で活躍しただけの日本人選手におそらく半信半疑だったに違いないアメリカ人。

一応秀雄野茂という活躍した先駆者がイチローよりも前にいてくれたおかげで、有名球団にすんなり入れたことはよかったが、彼らの評価に対する目は日本人のそれをはるかに超えてシビアだ。

しかしイチローはきっちりと最初から大活躍して見せた。

常識を覆す成績と、今までにない野球スタイルは瞬く間に評価を勝ち取った。

謙虚な姿勢も相まって、渡米、即スターだ。 アメリカ人は評価にシビアと書いたが、成績をキッチリ残すものにはしっかりとリスペクトと評価を下す。

これは手のひら返しではなく、純粋な「お前すごいな!やるじゃん!」なのである。

日本人のように、本来関係ない部分を持ち出してまで相手を貶めようとはしない。

これは見ていて本当に清々しく、人が人を認めるのに、バックボーンや肌の色など関係ないのだと教えてくれた。スポーツの素晴らしさが体現されていたのだ。

サッカーボールを持って知らないグラウンドに遊びに行くだけで、すぐに仲良くなれた。 それはスポーツが人を魅了し続ける大切なファクターだ。

「おい一緒にサッカーしようぜ!」


投げる・打つ・走る・守る

野球に必要なすべての要素を同時に高めようとしない風潮に野球を詳しく知らないからこそなのか、常にうっすらと疑問を抱いていた。

大事な局面でピッチャーに打順が回って代打を送るような光景をよく観るが、ピッチャーがちゃんと打てるようになれば安心して任せられるのではないかと。

最近では10000時間の法則などと言われているが、物事をキッチリ修めるためにもちろん時間は必要だ。現代野球のレベルがものすごく高くて、投手・打者どちらかにすべての時間を捧げなければ太刀打ちできない環境ならばそれでも良いが、なんだか未だにしっくりこない。

明らかに太った選手が多く見受けられる。

学生時代に厳しい部活を制約のもとで乗り越えてきた選手も、活躍し始めると途端に眉毛を整え、ギラギラアクセサリーをつけ、ダボダボのズボンをスパイクで踏みながら野球をしている。

別にオフタイムにどこで遊ぼうと、何を身につけようと関係ないが、職場にあれでは説得力がない。

つまり、十分に修練に充てる時間があるということになってはしまわないか。

「体が大きい方がパワーが出るから」と野球に詳しい人がいうが、ほかのスポーツの大柄な選手とプロ野球選手のそれは明らかに違う。

いや、練習しろよ。


翔平大谷は見ていて本当にワクワクする。イチローの時の興奮とおんなじだ。

紛れも無いスターである。 あの堂々たる体躯、謙虚な姿勢、驚愕の成績。

例えば、音楽家はこれと決めたひとつの楽器を幼少期から練習し続ける。それこそ途方もない時間を修練に充て続ける。

そして同じように人生を楽器に捧げた人間たちと、ひとつの場所に集まって、たったひとつの音楽を奏でる。 こんなにも途方もなく、文字通り人生をそのまま捧げた人間たちが奏でるそれは、もはや言葉では表現できないほどの感動を聴くものにもたらす。

スポーツも同じだ。

僕はイチローと翔平大谷にこれ以上ないリスペクトを捧げたい。

彼らはこれからもずっと、紛れも無いスターだ。


※この記事は2018年4月14日に投稿したものとなります。おかげさまで読者様が増えて参りましたので、今後定期的に過去記事をご紹介させて頂きます。

TALK BACK  読者様の暇つぶしになれば幸いです。

 

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