talkback archives

本当に正義が勝つと信じていませんか?見方の話

個人的方向性から見た正義

とある国民的アニメにおいてアンパンとバイキンはほぼ毎回戦っていますね。そしてほぼ毎回バイキンが敗北します。 では質問ですが、正義はアンパンとバイキンのどちらにあるでしょうか。

この質問の答えとしては「どちらにもある」が正しいです。

いくらバイキンが我々から見て卑怯な手を用いたり、道徳的でなかったとしても、バイキンからの方向性としてはバイキンの「信ずる正義」なのです。

正義などというものは単なる心の拠り所でしかない。

もしもあなたの振りかざす正義が「先天的に他者を納得させるために作り上げたもの」なのだとしたらそんなものになんの価値もありません。

正義とは「自分を最後まで信じ抜く力」に他ならず、それがあるから最後の一人となっても戦うことができるのです。

正義とは振りかざすものではない。そして他人の正義に敬意を払い、その上で受けて立つのです。正々堂々。

もしも正義が勝つのであればほとんどの争いに勝者も敗者も生まれないでしょう。そもそも論点が違うのです。

教科書に出てくるような有名な争いごとをみなさんは何個もあげることができるでしょうけど、その中にはひとつとして「よし俺たちは正義を挫く悪なんだ」なんて自負していた者達はいなかったでしょう。

どんなに劣勢に追い込まれても、誰も味方してくれなくても、最後のひとりになってしまったとしても、「信じ抜くものこそ正義」なのであり、だからこそ「正義」なのです。


俯瞰で観た正義

結局のところ周りの傍観者や共闘者が争う双方の正義を秤にかけ、「どちらが自分の正義により近いか」という判断でしかなく、選んだ方と逆の体勢を悪と断じてしまう。ただそれだけのことですが、昨今のあらゆる小競り合いには、喧嘩を始めた者達を(それぞれの正義のためにぶつかる人たち)を利用して動いている者達の存在が非常に鼻につきます。

しかし、それさえもその者達の信ずる正義なのではないでしょうか。

何か大きなものを変化させようと画策する者達には確固たる信念が必要です。しかしそれはその者達本人を突き動かす原動力でなくてはいけない。そしてその行動を目の当たりにした傍観者達が共感することで応援者、あるいは模倣者としての役割を演じる。それが正しい道筋であり、そうでなくてはいけない。

が、最初からそれを目的とした正義は正義として成立せず、あっけなく敗北してしまう。

利益や人は「後からついてくるもの」であり、最初からそれを目的とする行動には本質的な価値は発生しないのである。

材料がなければ料理はできない。 なんだかわからないものを判断できない。

それらは至極真っ当な考えである。

「これから料理を作るから買ってくれ」ではなく

自分が最高だと思う料理を作り続ける。その先に評価があるのかないのか。というレベル。

意図的に爆発を起こせるのはすでに成功したものだけに与えられる特権だ。

そしてそれは本当に稀なことであり、最初からそれを目的とすることは戦略的にお粗末と言わざるをえない。

人は皆「何者でもない者」から始まる。あるいは始まらずに終わる者の方が多い。

しかし「何者でもない者」である以上、「何者にでもなれる」のである。

 

あなたの信ずる正義はなんですか?それと心中する覚悟はありますか?

 

正義とは心の拠り所。悔しいことも、悲しいことも、すべて自分の正義と照らし合わせ、ブレずに行動を決定する。

どんなに苦しくてもそれしかあなたを「何者か」にする道はないのです。

その道の上にしか「あなたに用意された成功」はありません。

 

ぜひこちらもお読みください 人にムッとされないための処世術 イライライライラ


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA