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何も考えていない時間はありますか?

 常に何か考えている

ボケーっとするってよく言いますけど、その時あなたは「何か考えている」「何も考えていない」のどちらでしょうか。 一応答えとしては「何か考えている」となるのですが、「何も考えていない」と答える人の方がやや多いように感じています。

僕のケースで言えばとにかく目があいている時に何らかの情報を常に取り込もうとしているようです。文字があれば何でも読んでしまいます。形をみれば目でなぞっているようです。

意識的情報中毒者

これは僕が特別というわけではなく、どんな人もすべからく同じだと思っています。違いがあるとすれば、「意識しているかしていないか」だけ。でもこの違いが大きな差を産んでしまうのだと考えているのです。

それはおそらく人間が生きていく上での生産性に決定的な差を産んでしまうほど強烈なもののはずです。

変な話ですが僕はずっとリーダーでした。常に責任ある立場と恩恵を享受し続けてきました。 学業でも社会でも特に苦労しませんでした。(努力はしましたが)

でも血を吐くほどの鍛錬や努力などしておらず、必要な知識はいつ覚えたのかわからないベースとしてなぜか既にいつもありました。それをその時々でピックアップして少し勉強すればすぐに使える知識に改変可能だったのです。

不思議ですとても。その原因を究明して共有することはとても有意義なことだと思うので最近しばらく考えていたのですが、おそらく最初に書いたことがポイントなんだということに行き着いたのです。

僕がエスパーなのではなく、単純に意識的に情報を摂取し続けただけであると。

僕は興味があろうとなかろうと目の前の情報を取り込んで、「ひとつだけそれについて考えている」ようなのです。

目の前の情報をボールに例えるなら、一つだけそれについて考えるということはそのボールにをつける作業なのだと。

紐がついている記憶というのはアクセスが容易になるのだなということです。

漠然と頭の中の情報を打ち込んでいるので、結構生々しい文章でしょうけど、おそらくこっちの方が伝わりやすいと判断して書いています。

何でもいいんですけど、何かを見て、それについてひとつ考えてみる。

これを僕は無意識にずーっとやっていることに気づきました。これが原因となって、記憶を上手に引き出して利用することができているのだなと思います。

小さな頃から「言葉が言葉を連れてくる現象」を多く体験しました。台本を記憶して発しているのではなく、喋りながら次の言葉が湧いてくるような感覚です。

それが機械には絶対に真似できない人間の脳のスペシャルなチカラと言えないでしょうか。 間違うことや曲解すること、信じ込むこと、疑うことなどこれら多くの揺らぎとも言える感情は、物事を決定づけて測ろうとする人間の特性とは相反する曖昧なものです。

この曖昧な部分の情報力の差が(思考材料の量)幅広い決定的な答えを導くためのエネルギーなのだと感じているのです。

 

ちょっと疲れる文章のはずなので今日はこの辺で!

 

ぜひこちらもお読みください 引き算って足し算より難しくないですか?

 

 

 


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