「知らない」 ということを、知ることから始める

何かを始める前に。

ほぼ全ての人間が経験した事があるであろう事ですけど、新しいことを始めるときに、「何から手をつけていいのかわからない」現象のことです。 気持ちが前に向いているからこそ「背後のことに気がつかない」のであって、人間の目玉は前方を映す事に特化しているから、本能と言わざるを得ませんが、背後にある「見えていない不安の警鐘」を脳みそがありがたい事にガチャガチャ鳴らすもんだから「どうしていいかわからん」となるのだと思うんです。

「不足を確認して嘆くのは大切な儀式」

何かで読んだセンテンスに妙に納得したのを覚えている。なんだったかな。

僕はゴルゴ13がいろんな意味で好きなのですけど、彼は彼の背後に無断で立つことを絶対に良しとしません。「警告なしの攻撃」を必ず反射的に行います。

それは人間の構造上背後に注意を払う事の限界値が前方のそれよりも随分劣っているからで、反射的行動(なぜ背後にいるのかを確認する必要なく)をプログラムしておく事で反応速度を限界まで高めようとしているからです。

それだけ「背後」とは危険です。

余談ですが、僕は自分のデスクは必ず壁を背に設置します。背後になんらかの不特定因子が存在するとどうしても純粋な集中が得られないと考えているからです。(ちゃんと前を向けない) だから背後のリスクを極限まで減らす事で頭の野郎がガチャガチャやるのをやめさせるのです。

うるさい部屋で真の集中は得られない。それでも集中できるという人がいるのなら、そういう人は危機的状況になったときにパニックに陥る以外の選択肢はないでしょう。

想定できるリスクを管理し、「安心して」日常業務に取り組む(前を向く)のは自覚の元でなされているケースがほとんど無いように思われます。


自分が何を知っていて、何を知らないのか。知らないという事を知るのは大切な儀式。 何を知らないのか分からなければ、知っていることを100%活かすことはほぼ出来ないのだ。

僕のところには「どうして良いか分からない」と言う類の相談が多く持ち込まれる。

そのほぼ全てに僕は「何がわからないのか知るところから始めましょう」と答えています。 材料が不十分な状態でカレーを作ろうとしてもうまく行くことは少ないでしょう。

まず、何が足りていて、何が足りないのかを知るのです。

前を向いて歩くために、背後の不安を可能な限り理解し払拭する。そういう順番です。 新しいことを始めようとするとき、人は盲目的に行動すると言われますが、目は開いていて、前はしっかり見える。背後(リスク)が見えていない事を指して「盲目的」としているのです。

ちなみに僕は突然 わ! と言われて ぎゃ! となった事がありませんよ。


※この記事は2018年5月17日に投稿したものとなります。おかげさまで読者様が増えて参りましたので、今後定期的に過去記事をご紹介させて頂きます。

TALK BACK  読者様の暇つぶしになれば幸いです。

 

ぜひこちらもお読みください 順応性 郷に入れば郷に従え その上での個性


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