週末は釣り、来週はグランピング。梅雨だ。

釣りといっても釣り堀、キャンプと言ってもグランピング

僕の育った田舎は二級水系の本流の河川と(大きな川)とそれが流れ込む日本海。そしてそれらを取り囲むように聳える山々と、非常に自然豊かで、幼少期の感性を育むにはうってつけの場所だった。 両親から買い与えられたマウンテンバイクを駆り、文字通り野を越え山を越えだったのだ。 街並みも城下町としての趣や文化をいまに残し、海沿いには温泉街がひろがっていた。

18歳で進学のために親元を離れるまでのこの街での記憶は今の自分を如実に投影している。僕という水を構成している成分のほとんどはこの街に形作られていると言っても過言ではない。

山の中の遊歩道をマウンテンバイクで駆け下り制御不能に陥り滑落してみたり、離れた島まで泳いで行こうとして(大人になってから調べたら10キロあった)途中で陸が全く見えなくなり死にかけたり(本土側に流れ着いたが、出発地点からは相当離れた場所についた)(死にかけた理由としては親からとても怒られたことも含む) まあ生傷絶えぬクソガキを魂を燃やして体現していたのだ。

中学生くらいになると、夏休みの夜などは毎晩ビーチでキャンプのようなことをしてあれこれと話し込んだ。 焚き火を囲んでどうでもいいことを、どうでも良くなるくらいの時間。

みんなお金がないので、イカ釣りをして刺身にして食べたり、(わたとゲソは持ち帰ると父親が塩辛にしてくれた)山に入って山菜を採って料理屋に買い取ってもらってみんな小遣いを作っていた。

高校に上がる頃になるとどこか「やんちゃなのはチョットかっこ悪い」みたいな風潮に流されて、みんなうずうずしながらも大人ぶるようになっていった。子供の頃暴れて回っていたお陰なのか、僕の田舎の人間は大人になると基本的にはエンジンを切った戦車のようにおとなしくなった。(いつでも撃てます)

どうしたら人が傷つくのか、悲しむのか、痛いのか、嬉しいのか。

小さな頃に全て経験する。田舎町にいまも変わらぬ義理と人情が溢れているのはこういうところにも重要なヒントが隠されているのではないかと思う。

もちろんスターバックスで注文するときなど顔が真っ赤になるし、女の子とデートするのも奥手だったりしたが、それでいいのだ。

想像してみて欲しい。近所のおっさんが全員カミナリオヤジなのを。

あらゆる場所に子供を護る目がある環境の中で、いかにバレないように悪さをするか。 こんなに幸せな環境があるだろうか。


関東に居る現在では迂闊に人の子供など注意できないそうだ。 先日コンビニの袋を下げて歩いていると、小学生の下校ラッシュとかち合った。元気な小僧が二人猛然とこちら方向に駆けてくる。手には紐付きの水筒。

僕の脇を通り過ぎるとき、半ズボンを履いた僕のスネにゴンッと水筒が当たった。あまりに痛かったので、振り返るとぶつけた子供は振り返りなんと僕を睨みつけたのだ。

水筒を僕が弁償させられるのかとガタガタ震えて居ると、子供達は「何も言わず」また猛然と走っていった。

とっ捕まえて引きづり回してやろうかと0.1秒ほど考え、それよりもお腹が空いて居ることを再確認し、帰路についた。

次の日起きてズボンをはくときに丸々とした青あざを見つけたのはいうまでもない。


※この記事は2018年5月25日に投稿したものとなります。おかげさまで読者様が増えて参りましたので、今後定期的に過去記事をご紹介させて頂きます。

TALK BACK  読者様の暇つぶしになれば幸いです。

 

ぜひこちらもお読みください 宇宙の話 でもしようか。宇宙は楽しい。


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