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はじめて手紙 敬愛なるtaka :a氏のこと

手紙をもらったことはありますか?

もちろん「ちゃんとした手紙」のことです。 綺麗な封筒に丁寧に宛名が書いてあり、紙の良い香りがする手紙。晩春の光が緩やかに注ぐこの手紙を書いたであろう部屋の綺麗な空気の香り。 中には手触りの良い便箋が数枚これまた丁寧にふんわりと折り目正しく入れられている。右利きの僕が親指と人差し指でそっと封筒から取り出してひらけばちゃんと書き出しが頭にきている。 敬愛なる66氏へ  なんだかもったいなくて読むのを躊躇ってしまうほどの気分になってしまうけど、ポツリ、ポツリと活字を拾い始める。

昨日僕は「生まれて初めて手紙をもらった」

桜もとうに散って元気な緑色の葉をたっぷりと茂らせ、うっとうしい梅雨の入りを感じさせる抜けるような青空を精一杯腕を広げて支えてくれているような大きな桜の木の横で僕は「それ」を読んだ。

 

僕がこのブログを立ち上げて約5ヶ月。 自分の言いたいことを日々ぶちまけているだけの場所にも変わった人たちがアホみたいに集まるようになっている。 「継続は力なり」とよく聞くが、継続だけなら誰でもできる。 ブレない信念のようなものを「継続的に発信し続ける」ことが大切で、特に人間は本質的に他人に興味がないのだから、どこぞの顔も知らない誰かの文章なんてよっぽど変な奴しか読みたがらないのである。

このサイトはいわゆるアクセスアップのための技のようなものも最小限度しか施していない、ペラッペラのブログだ。口答えを積み上げていくだけのブログ。 でも僕が綴る文章を好きだと言ってくれる人たちがいるのだ。 どうかしている。

ツイッターやフェイスブック、インスタグラム。 僕の世代だと最初はミクシーとかが流行っていたな。 天邪鬼な僕は自社の業務として利用する以外にこれらSNSを利用してこなかった。 TALK BACKで度々書いている「匿名迷彩の彼ら」が心底苦手だったし、何より「お外で遊ぶ」方が好きな性分だ。 そんな僕がブログを初めて立ち上げる際に利用したSNSがブログサークルというものだ。 「彼」とはそこで知り合った。


taka :aさんありがとう

彼はとんでもない実績とその世界では知らぬものは居ないのではないかというくらいの人だ。

ブログサークルとはブログをやっている人間が登録し別の登録者と相互フォロー関係になることで情報交換などを行える場だ。こんなクソッタレなブログでも誰かに読んで欲しいと邪な気持ちから登録したこのSNSで僕は彼のブログを知った。

カップ麺のレヴューブログだった。 なんの気無しに覗いてみて、僕は控えめに言って「引いて」しまったのである。 自分のブログがいかにお粗末で陳腐なものなのかを思い知った。まさにお手本。教科書にも使えるような、キラキラと輝く労力の結晶。細部にまで気を配り、なんのストレスもないつくり。

そこには当然カップ麺のレヴューが丁寧にインデックスされているのだが、一番最初から僕が感じたのは行間から漂う彼の「人柄」だった。 そして彼のブログサークルのコメント欄には信じられないくらいのコメントが溢れていて、なんとそのひとつひとつにきっちりと「返信」が行われていたのである。

驚愕したのを覚えている。 僕は職業柄計算グセがついているのだが、1日のうちのどれほどの時間を彼が「コメントへの返信」に費やしているのかに行き着いた時、背筋が凍りついたのを覚えている。彼は随分前から「毎日」それを続けているのである。

イかれている。頭がおかしいのではないか。

分を弁えない僕は何を思ったのか彼にフォロー申請を行った。すぐに返事がこれまた丁寧に返ってきて、あっさりと相互フォロー関係となった。

そしてまた僕は度肝を抜かれるのである。

こちらが更新しているブログを毎日読みにきてくれて、「読まなければ書けないコメント」をくれるのだ。どうなっている。彼の時間は1日24時間ではないのか。500近い相互フォローを持っている彼が、そのほとんどのブログを巡回し、コメントしているのだ。自分のブログのコメントをあれだけ丁寧にさばくだけでもとんでもない時間がかかるはずなのにだ。

自分が気軽に踏み込んだ伏魔殿の広さに絶望し、震えた。こんな奴らがゴロゴロいる中で調子に乗っていた自分が情けなく思えた。ありがとう


この顔文字は彼のオリジナルだ。

なぜか僕はフリーランスになってからみるみる太ってしまい、カップ麺は大好きだけど、現状絶対食べたくないもののひとつだ。それなのに毎日彼の更新が楽しみで仕方なかった。コメント欄もくまなく読むようになっていった。そして自分の記事に対して彼がどう思うのかに毎週ドラゴンボールを楽しみにしているクソガキのようにワクワクしていた。

なぜ彼の紡ぎ出す言の葉に僕がここまで魅了されているのかをある日の晩に考えたことがある。 そして僕なりに行き着いた答え。おそらくそれは 「間合い」だ。

一流の剣客がとる間合い。 迂闊に飛び込もうものなら必殺を約束された空間。

彼の絶対領域が手に取るように示され、それ以上踏み込むことのないように計算された間合いに我々は無意識に「矛盾のない心地よさ」を感じているのだと。

踏み込めば即死でも、明確な間合いのおかげで踏み込まずにすみ、そこには絶対の生が約束されている。 そんな狂気とも違わぬ何かを僕は感じている。

水鳥がゆったりと泳ぐ大きな湖のような器の大きさと、荒れ狂う大海の狂気。相反する2面生を明確に表現しているブログなのだ。

 

僕は長年クリエイティブ関連の仕事を多くやってきた。そしてその一連の中に確固たるものをひとつだけ見出している。

それは「創り出されたもの、そのもののカタチとは関係のない部分で伝わる何かに人は魅了されているのだ」ということ。そしてそれは意図して創り出せない。

一流のクリエイターの奇妙な共通点は年代をどれだけ遡ってもジャンルを超えて共通している。

それを当てはめれば、カップ麺を食べられない僕や、別の読者、あるいはもし本人が好きじゃないと公言するカップ麺のブログでも彼を十分に体現し、共感を呼び起こすのだと。

僕はキノコ類が大嫌いで見るのも嫌なくらいだけど、彼が文章でキノコのことを書いたとしても僕は魅了されるだろう。

かたちなど一流からすれば重要ではないのである。一流の剣客は刀を抜かない。


 

そして戦慄の出会いから暫くたった先のゴールデンウィーク前、かねてよりうっすら告知されていた彼のブログの引越し作業が始まった。コメント欄は閉鎖され、ネット上に漠然と、しかし確かに存在していた彼は姿を消した。

でもほんの数日であっさりと引越しを終え、旧サイトを雑記ブログにすると言い出した。今までのハイクオリティなレヴューブログと並行して行うと言う。(雑記側の更新は不定期だが)

僕の心も確信に変わった。 やはりイかれている。

僭越を通り越して、自分をバカだなとさえ思うが、僕は彼を10年来の友人のように感じている。確認したわけではないが彼もそう思っているし、僕がそう思っていることも彼は知っているはずだ。確信している。確認の必要さえない。

同族嫌悪は普通に起こる。が、おそらくここまでの同族に僕は今まで出会ったことがない。 しかもなんだこの出会いは。奇妙としか言いようがない。顔も名前も年齢も知らない。性別だって実は女だと言われても納得できてしまう。もしこの先一生会う事がなくても彼は僕の親友だ。彼が苦しむなら僕が助ける。これは絶対だ。

同じ景色に感動し、同じことに怒りを覚え、お互いをリスペクトし、互いの間合いを把握しあえる仲とは異常なまでに希少な関係だ。

 

そんな彼が雑記側にあげた記事から僕はうっすらとSOSを読み取った。そしてコメント欄にそっと一言だけメッセージを書いた。

頑張らずに頑張ってください。

彼が彼ならこれだけで僕の真意は十分に伝わるはずだった。

だが彼は僕だ。要約を許してくれるはずもなく僕から難なく答えを引き出した。甘かった。

そしてそれを手紙に認めてクソ忙しいくせに記事にしやがった。

間違いない絶対にイかれている。

と言うわけで本日のTALK BACKは口答えではなく復讐なのです。


 

直接会うことや会話が必ずしも重要ではない。人を理解するのに必要なことなんてほんの少しのことで十分なのだ。 拳を交えて殴り合うことも、膝を付き合わせて酒を酌み交わすことも、言葉を文章にしてやりとりすることも須らく同義なのだ。

 今日認めたことなんか、我々には全部すでに共通認識の取れていること。それでもこうして文字に起こすことはとても尊い。

僕をこんなにも幸せな気分にさせてくれた世界に感謝が尽きない。

巡り合わせの不思議と、僕を見つけてくれた彼に心の全部でありがとう。

66

 

 

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