すごいタイトルになってしまったけど
僕は親元を離れた18歳の時からほぼ何かを我慢したことがない。もちろん極端に言えば未だに達成できていない願望も多々ありますが、リアルタイムの願望には素直に従って、自分を満足させています。
「給料がこれだけだから、なるべく節約して上手に計画的にお金を使いましょう」
ここ何十年も耳にする世間的スローガンにずっと僕は個人的反抗を試みています。それは僕が死ぬまでずっと変わらないポリシー
欲しいものを我慢したくない
よく、コーヒーを1年間飲まなければ海外旅行にいけるとか、タバコを何年我慢すればメルセデスに乗れるとかその手のお話は本当にたくさん溢れています。
僕はコーヒーを毎日飲みながら海外旅行に行こうとするでしょうし、毎日タバコを吸いながらメルセデスに乗れるようにします。(タバコはしばらく前にやめました汗)
なんというか、コーヒーを我慢しなくては海外旅行にいけない、あるいはそのお金をもったいないと考えてしまう人にとって海外旅行は必要のないものではないでしょうか。
タバコを節約してメルセデスに乗るとして、その人にその車は似合うのでしょうか。馬子にも衣装とは言っても、残念ながら残念です。
もちろん浪費を推奨しているわけではありません。しかしお金の使い方は使わなければ勉強できないですし、高級品の良さや「品物側がユーザーに求める教養や品格」も学ぶ必要があります。
僕は常に欲しいものがあればすぐに行動し、それを達成してきました。自分の欲望を明確に把握し、それを成すために必要な作業にすぐに取り掛かります。
我慢して良いことなどないのです。いつまでも若々しく、他人にとって気になる存在あるいは魅力的で居続けるための唯一の方法と言っても良いでしょう。
なんだかはちゃめちゃに聞こえるかもしれませんが、僕はこういう考えの持ち主です。 食べたいものは食べる。欲しいものは買う。訪れたい場所は訪れる。
そしてそのための努力に苦痛は伴いません。
現在将来に期待できないという人たちが保身の為に無欲であることが癖づいていると聞きます。それってとんでもない危険信号です。
世界は欲を満たすための企業で溢れているのです。 もしも無欲がより強固な地盤になってしまったら。
どんどん所得ベースは下降していきますし、どんどん経済がしぼんでいってしまいます。 出生率も低下し、国力も低下して、目も当てられなくなります。
三途の川の渡り賃が値上がりしたなんて話は聞かないです。
資産を持ったまま逝く事はできないのに、その瞬間まで未来を不安視しながら生きるなんて考えただけでも気持ち悪くなります。
誰がなんと言おうと僕は、いい女、いい家、いい車、美味い酒と食い物、のために頑張りますし、死ぬときは家族にたっぷりとお金と知識を残してやろうと考えています。
ラオウのように逝くために生きるのです。
それが僕にとってのガソリンです。燃費の悪い車でもいくらでも給油してやる!という気概が湿地帯のような現代を乗り越える資質だと僕は信じています。
※この記事は2018年4月9日に投稿したものとなります。おかげさまで読者様が増えて参りましたので、今後定期的に過去記事をご紹介させて頂きます。
TALK BACK 読者様の暇つぶしになれば幸いです。
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