駆け引き の難しさと勝敗

勝ち負けが存在するあらゆることには「勝因と敗因がある」しかしながらこのふたつは決してオセロのような単純な裏表の関係ではないと僕は考えている。もしも最高の勝者と最高の敗者しかその勝負に関与していないのならオセロでもコインでもいいが、きっちり裏と表となる。でもほとんどの勝負事は「負ける側に明確に負ける理由が存在し、かつそれに気づいていない場合。そして気づいているが制御できない場合」があるように思う。

極論を言ってしまえば「勝手に敗者になる」

勝者はいつも賞賛を浴び、その栄誉を讃えられる。敗者も勝者に対して最大限のリスペクトを表明するべきだし、勝者も敗者をねぎらう方が格好いい。

それはさておき、対戦相手のある勝負事の場合、僕は勝者は「勝手に生成されるもの」と考えている。もちろんそんなに簡単なことではないが、ある一つのルールの中で勝負するときに、その勝負の勘所や所作を完璧にマスターし応用が効く人と、その完成度が80%くらいなのに完成したと思い込んでいる人が戦うと言わずもがな「マスター側」が勝利するだろう。

僕がいつも思う。マスターが勝つべくして勝つのではなく「敗者が当然に負けるから勝者が生まれるのだ」と。 (ナンジャそらと言わないで)

その理論で当てはめて考えれば「勝因」なんていうものは非常におぼろげで不確定なものだ。

しかし「敗因」はどうだ。

毎回非常に明確に足りないものを示してくれるのではないかと思う。

「相手が悪かった」とよく耳にするが、そうではない。「相手より足りない自分が悪い。そして何が足りないのか知ることができるでしょう」ということなのだ。

敗因の的確な分析と考察は、次にそれが原因で「敗者となる」ことを少なく、あるいは無くしていける。

いつかはマスターになる道理だ。階段は飛ばしてはダメだとつくづく思う僕です。