待っている時間 の方が長い問題

人生を全うする瞬間まで待っている

今までの人生を振り返ってみると、僕は常に何かを待っているような気がする。別に大それた意味ではなくて、「楽しみにしているなにか」を待っている。僕のように好奇心が人よりも強いとどうしても意識が先回りしてしまうので、他の人から見れば「苦しみながら待っている」ようにさえ映るのかのしれない。その上そのサイクルが尋常じゃなく早いので「基本何かを待っている」となるのである。

早いは正義

僕のような変わっている人間は「速さ」にとても価値を感じてしまう。Amazonが最初に登場した時、本当に衝撃を受けた。今でもはっきりと覚えている。注文から到着するまでの速さには感動さえしたものだ。そしてその速さの追求をいまだに行なっている。

文字通り1秒でも早く「それ」を手元に持ってきたい願望の塊の僕には現状うってつけのサービスだ。 今までで一番待つ時間が苦しかったのは車だ。なぜか僕が所望する車はどれもこれも納車までに半年くらいかかってしまう。「待つしかない」から待つことになるが、いくら事前勉強が楽しいとはいえ限度がある。ちなみに僕は長時間待たされれば待たされるほど「元気が無くなっていく」らしい。

おそらく「僕のように待つ」のには相当なエネルギーが必要なんだと思う。

起業するときは審査結果を待つ時間は永遠に感じられたし、工場に発注した自社製品が到着するまでや商談において相手の返事を待つ時間、果てはラーメン屋でどんぶりが到着するまでの時間、信号、とにかく「待て」をくらいまくって生きているのだとつくづく思う。

飼い犬は「まて」ができるようになっているが、基本彼らの「待つ時間」などたかが知れている。 飼い主が「まて」といって「よし」と言うまでのちょっとの時間座っていれば良いのだ。それ以外の時間は自由気ままに「次のまて」を待つだけで良い。

羨ましくはないが、そんなことまで考えてしまう。

全てのことを待たなくてよくは絶対にならないだろうけど、「自分の努力で待つ時間を短縮」することはある程度可能だ。Amazonのプライム会員など、僕はすぐに飛びついた。理由は簡単「早く届くから」

そこに価値を見出し、利益を計上するのだからやはりすごい企業だなあと思う。

時間を売ることを商売にしたいなあ。