ポジティブ ないたちごっこ

ずっとそうやって生きてきた

現在メインの仕事以外に手がけているプロジェクトはかなりパソコンのスペックを要求するものだ。具体的には動画編集をやっている。新たに揃えた機材は初めてのWindows機でBTO(セミオーダーメイド的な)で発注し、新たにメモリを自分で増設したりもした。Windowsの起動にかかる時間は驚異の6秒弱、もっさりと意味不明なアプリをちまちまと立ち上げては息継ぎをするというイメージはもはや過去のもののようだ。

パソコンとはキッチンのようなものだ。

Windows機はマッキントッシュよりもユーザーに求める知識深度が深めだなというイメージは以前と変わらない。どんな料理にするかで、調理に取り掛かる前にお勉強のお時間がサンドウィッチされる。

マッキントッシュの「なぜか痒いところにすでに手がある状態」に慣れていると、新たな知識領域が拡大されていく日常に心なしか喜びを感じたりもする。何を隠そう僕は「表向き格好つけているオタク」ということなのだろう。本性というのは関取の張り手でも外に出せないということか。

材料をキッチンに運び込み、調理工程を学び、調理し、提供する。

調理する材料によって、あるいは調理工程によって、キッチンは常にいたちごっこを迫られる。

最新のハイエンドグラフィックボードを搭載し、バカみたいな容量のストレージがあり、オーバークロック対応のCPUとメモリは何をしていても常に涼しい顔をしているが、それでも得意不得意はあるようだし、調理人の僕のせいで余計な負荷を与えてしまうこともあるようだ。整合性や方向性を僕が理解して初めてそのパワーを発揮できる、ちょっとツンデレなこのキッチン。

それでも大きな動画データを慣れてきた僕が早めに作業するとややもっさりとすることがある。このもっさり現象は文字通りこのパソコンの限界領域ということだ。このもっさりを無駄と断ずるとき、新たなパソコンを導入するか否かの選択を迫られる。これはコストと天秤にかけるだけなので簡単ではあるが、一般的な使用方法では「全く」ストレスがないパソコンを買い換えるというのは些か心が痛む。

オーブンのないキッチンでオーブンが必要な調理を工夫して行うには常にあらゆる面での出来上がりに対する妥協を孕むことになるのだ。それは自分にも相手にもよくないことだ。

それがビジネスとして成立している以上、このいたちごっこには心して臨まねばならないだろう。