技術向上の効率化と努力

僕はこの手の努力が大好きだ。ドラクエのレベル上げみたいな単調な作業も好きだし、頭を悩ませ、自分なりの答えを模索するのも好きだ。ひとつ思いついてはそれを本気で試して標本を集め、検証し、取捨選択を繰り返す。その正解も不正解もすべからく自分の血となり肉となって、理論に裏打ちされた力となって蓄えられる。

再現性が最も大切。

スポーツでもゲームでもなんでも「成功体験を再現」させることができなければそれは実力でもなんでもなく、ただの「偶然」ということになる。もしも偶然ではないにしろ、「ものになっている」とは到底言えないということだ。

例えばボーリングなどは非常に例として扱いやすい。(僕はボーリングが大の苦手だ。)あのスポーツは本気で取り組んでいる人たちをのぞいてしまえば、完全に「誰でもある程度楽しめるレクリエーション的な位置付け」のスポーツと言える。椅子に腰掛け、ドリンクや食事を楽しみながら、息が切れることもなく、手軽に遊ぶことができる。男女差、年齢差も遊びでやっている人たちにすればハンデにすらならない広い懐があるスポーツだ。

初めてボーリングをした日に「ストライク」が出なかったという人は稀だと僕は思う。(そのストライクにはなんの価値もないが)あのルールは実に絶妙で、1番の成功である「ストライク」が「偶然出る確率が高い」のである。

この辺が今でもボーリング場が各都市に健在な理由だろう。

誰でも思うはずだ。「自分はボーリングがそこそこ上手いぞ」と。

だが、それは違うのだ。ボーリングでご飯を食べている人に「ストライク」を依頼すれば「9割9分」くらいの確率でストライクを披露してくれるだろう。

それこそが「再現性」であり、「理論に裏打ちされた実力」と言える。

別に遊びでやっているのだからそんなこと言われてもと思ったあなた。

これは例えである。(悪しからずご了承いただきたい)

人間とは実に不思議な生き物で、裏打ちされていないものをあたかも当然のように自分の実力と信じて疑わない図太さを持っている。

上記のせいで「負けて当然の戦い」を平然と行い、悔しがったりする。それはこれ以上ないくらい盛大な矛盾だ。

僕は取り組もうと決めたことはなんでもスイッチが入ったように、ガムシャラに検証を繰り返し、最短ルートを模索しながら、向上しようとする。そしてその時間は至福の時間だ。

悩んで苦しむことがそんなに好きなのかと自問自答する日々だけど、その先に何が待っているかを知っていれば、それはこの上ない幸福な時間となることを僕は経験上知っている。

距離が定められているマラソンは競技として「成立」するということか。


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