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謙虚な姿勢 は他人の評価云々というより

自分自身の成長に直結する。

この世の中にはそれこそ多種多様な称号が存在する。あの人は優しいねえでも怒りっぽいねえでもいい。とにかく、いちいちじっくり話し合わなくてもその人間を簡単に批評するにはもってこいの慣習と言える。 物をよく知らないのは恥ずかしいことでもなんでもないが、知らない本人が「知らなくて恥ずかしいな」と思って初めて齟齬のないコミュニケーションは成立する。

「知らなくて当然」は他人のみが付与できる称号

しかしながらこの世界には自分が可愛いがゆえに自分で自分にこの称号を付与する人のなんと多いことかと日々思う。自分が劣勢に追い込まれれば(そんなセンサーだけは一流の感度)たちまち「自分は悪くない」モードに突入する。確変の突入率は驚異の100%に迫る勢いだ。

叱責する気も失せるような「出来ていない人々」で世界は満ち満ちている。

「失笑」 これは現代日本人が歴史上最も保持している称号かもしれない。


謙虚な人が僕は大好きだし、そういった人間を愛おしくさえ思う。そしてもしもそういう人を評価する立場にあるのなら、些細な成果も見逃さないように注意深く観察するだろう。謙虚な人間の「意見」があるとすればそれは企業にとっても、友人関係にとっても「非常に有意義」な「指摘」となりうる。

「自分を殺せる人間にしか他人は活かせない」と言い換えても良い。

そして「自分を活かす事しか出来ない人間に他人を活かす事なと出来はしない」となる。 全ての物差しが「自分基準」な人間にどうして「公正な裁き」ができるというのか。

アインシュタインは相対性理論を説いた。現代物理学の祖と言っていい。しかし物事を相対的に見ることが出来ない人間というのはまさに「矛盾」そのものなのだと考えたほうが懸命だ。

「人の気持ちを考えろ」とは幼少期誰もが言われたことのある科白だろうが、それの真意に気づける人はまた少ない。

宮沢賢治の「雨にも負けず」が僕は大好きだ。いまでも暗唱できる。

「満ち足りる」とは溢れかえって余る様では決してない。そこにこそ自分の物差しを用いるべきで幸せとはそこまで難易度の高いものではないのだ。

「謙虚」という称号のためにこれからも精進しようと思う。

 

 

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