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知ったかぶり が良くないのは知っているが

果たしてしていないと言えるのだろうか

この世の中にはそれこそ膨大な情報と知識がある。日常的に必要な情報や知識などたかがしれていて、「慣れ」という生物独自の効率化によって頭のなかにクルミしか入っていなくてもなんとかなったりしている。しかしながら現代を生きる人々は「知らない」ということに、もはやなんの感慨も湧いてこないように思えて仕方がないのだ。 雑学番組が隆盛を極めた時代は最近のようで実はとうの昔ということとなっている。

goooooooo,,gle先生の偉業

昔々、勉強するときなどは辞書を傍においてと教わってきた世代だ。その中には4方8方から検証を重ねられた正しいことのみが記されており、何年かに一度は見直しをされた、価値のある情報と知識がびっしりと書いてある。 小学生の時などは先生がレクリエーションの一環として「辞書早引き大会」などを開催し、僕は常にトップだった。(どうでも良いが嬉しかった) そんな経験もあってか、わからないことがあると僕はすぐに辞書を引いて調べるようになった。そして一つの言葉を引いたのにその両隣の言葉や、わからない意味をさらに引くなどして「楽しんだ」

そうやって蓄積された知識は必要なときに瞬時に引き出され、「信頼のおける安心感のある知識・情報」として存在している。もちろん応用も自由自在だ。

では今はどうだろう。

ほとんどの人間がぽちぽちと検索窓に知りたいことを打ち込んでどこの誰がどんな責任を持って書いたかわからない情報をさも正解のように盲信し、「振りかざす」

元2ちゃんねる(現5ちゃんねる)のひろゆき氏はインターネットが爆発的に普及する直前にこんなことを雑誌のインタビューで答えている。

「嘘を嘘と見抜ける人でないとインターネットを正しく利用することは難しい」

言い得て妙。まさに20年ほども前に今の現状を言い当てている。(いや、正確にはインターネットには最初からこの問題が内包されているということか)

嘘と書くと随分鋭い言葉となってしまうが、間違いを間違いと見抜くためにはそれなりの情報と知識が必要だ。 つまりインターネットの某先生を利用するに時は辞書を引くときのそれと同等にしてはダメだということ。

その事柄についてほとんど何も知らないでいる状態でインターネットの誰も保証してくれないふわっとした情報を新規情報として吸収してしまうのは本当に危険だ。

日々の会話で明らかによく耳にするワードがある。それは

「よくわからないですが」「人それぞれ意見があると思いますが」「だと思います、多分」のような はっきり言ってなんの保証もない言葉の数々だ。

「自分に責任はないのだ」と保険を打ちながらでないとろくに人と話せない人間のなんと多いことか。

インターネットの利用は正しくすれば現状これ以上ないほど有意義なものだが、それ自体に飲み込まれて無自覚な人の数はこれまた無尽蔵となっている。

これがもしも機械が人間を支配するための前段階だったらなどどエスエフに走りたくなくような気分である。

 

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