尊重すべきことに 騙されてはいけないと思う

数の力に無意識に屈服しているかも

昨今1個人の意見、主義主張があたかも全体の正義のように扱われがちのように感じる場面に多く遭遇する。(直接的にも間接的にも) 世界は広く広大で人間はカオスが苦手だ。あまりにも膨大なファジーを処理することを迫られれば、文字通り当たり障りのない答えに飛びつこうとする。根本的に弱者を擁護したいと思う本能を持ち合わせる人間の限界は非常に近いところまで迫っている。

わからないと言えないようにする教育

それ自体は悪くないが、わからないと茶を濁すほうが良い場面も多々ある。大人になればなるほど「わからない」と言えなくなっていく風潮の中で処理しなければいけない案件はまさにカオスそのもの。宇宙の真理かのような膨大な数の人間たちの主義主張。 一国単位での意思決定と強制が(良い意味で)日本人を日本人たらしめ、舵を切っていた時代を懐かしくさえ思う。

最も小さな単位はもちろん 家族 だが、その家族内でさえ各々曲げられない自我を持ち、衝突する。「こうしなければいけないのだ」という考えはびた一文存在しない。ファミコンをねだった幼少期を思い出す。「他所は他所、うちはうち」


ではなぜこのようになってしまったかと安易に答えを求めれば「スマートフォンの爆発的普及」ということになるだろう。

時系列で言うところのイノべーターは「オタク」ということになる。 オタクの最大の武器は普及が進む前から「パソコン」になれ親しんでいたことだ。

パソコンやスマートフォンが悪なのではなく、そのデヴァイスから容易にアクセスできる「ふわっとした他所様の思考」に毒されるのである。

昔、ラジオを聴いていた時、顔を知らないパーソナリティは男ならイケメン、女性なら自分好みの可愛らしい人を「勝手に」想像していたものだが、まさにそこに罠が潜んでいるのだと考えている。

一人の発信者に繋がろうとする大多数。

この構図がインターネットの全てだが、これがとんでもない問題を孕む。

繋がろうとする者は、見えない部分の情報を「口あたりの良い情報」に変換して取り込んで補完してしまうのだ。

そこに「雷オヤジ」はいない。いるのは王子様やお姫様。でも現実はカビの生えた汚い部屋で画面の中で演じているだけのダメ人間かもしれない。

後天的にインターネットを取り込んだ世代はまだ下から「頑固者」とレッテルを貼られながらも人間活動をギリギリ生産的に行えるはずだが、インターネットを自我形成の時期から使用してきた世代に関して一つの共通点が見られるように思う。

それは「突っ込んだ議論が苦手」ということ。

お互いが歩み寄り最終的な方針を決定することが「できない」のだ。

自分が追い詰められていると感じれば(あるいは思い通りにならない)後は感情の赴くままだ。論などそこには存在しない。

多数を相手にしなければビジネスというか世界は保てない。のに「フワッとした個人」に終始し当の本人さえもよくわかっていないという時代にまさに在るということだ。

これは本当に恐ろしいこと。

用法と用量を間違うことは生物として存在している人間にとって致命的である。我々は生物だ。機械にとっくに敗北しているということに気づくべきだ。

このままいけば間違いなく「フワッと機械に利権を奪われる」そして饒舌なだけの口は揃ってこう言うのだ

「こっちの方がいいじゃん」


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