食事 の大切さ、自己管理の難しさ

陳腐だけど、あと何回食事できるだろうか

生まれてから死ぬまで、人間は食事を抜きにものを語ることはできない。どんな悪人でも善人でも先生も生徒もみんな食事をしなければそれぞれの役割を全うすることはできない。人間は時間経過で生から強制退場させられるが、与えられた時間を満了するためには食事をするということが絶対条件だ。そのうち必ず死ぬが、ある意味で食事は終わりの時間をキッチリ過ごすために必要不可欠な要素だ。誰でも可能な限り時間を使うために無意識に今日も食事と摂る。

自分の価値観で食事と向き合えば良いのだが

僕の食事への価値観は変化の連続だった。10代の頃は常に腹を空かせ、20代の頃は美食を渇望し、現在は健康志向へシフトしている。その中でひとつも変わらないのは「食欲を満たしたときの幸福感」だろう。 人間というか、ものを食べる生物全般にどっかの誰かが組み込んだこのプログラム。 生命を維持し繁殖を課された生物の基本設定とも言えるルーティンに、翻弄されつつもニコニコしてしまうのだ。

食べたいものを好きなだけ食べて死ねれば本望という話はよく聞くが僕はそれには賛成だ。誤解を産むかもしれないが恐れずに言う。

僕はまさにそのように生きてきた。ご飯もお菓子もお酒も欲しくなったら我慢せずに摂取してきた。そしてとても幸せだった。その習慣を変えようとも思っていなかった。朝のニュースで見た福岡の店にその日の仕事終わりに飛行機で行ったこともある。寝る前は太るとか、朝から脂っこいものは控えるとかどうでもよかった。

最後までそれで良いと思っていたのに、ある時から緩やかにこの食生活は方向性を変え始めた。罪悪感や恐怖心を感じるようになったのだ。これ以上塩分をとったらマズそうだ。糖分、脂分、アルコール、特に何かに絆されたわけではないのだが、そんなようなモヤモヤを感じるようになってしまった。

そして罪悪感や恐怖心のない食事にシフトするようになって、感じていたストレスがなくなって新たな幸福感が訪れるようになったのだ。

だから僕は以前と変わらない食事の幸せを感じて生きている。

僕のように死ぬまで好きなものを食べる生き方ができない人がいる。だからこそわざわざ誰かの言う通りに「我慢」しなくてもいいのではないかと思う。

自分の体が「やばい」と思ったら人間は自然に回路が組み変わるのだ。それってすごいなとつくづく思う。

誰かに命令されながら自分を変えるなんて僕には耐えられない。そしてそのかわり文句も言えないと言う責任もある。

食事は本当に幸せな時間だ。

ご自分の食事を少しでも考えるきっかけとなればと思います。


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