人が「認められる」ということ

こんなにも嬉しいことはない。他人から「認められる」ということは「成功の縮図」そのもののように僕は思う。「自分で」認められるために邪な考えを持って動いてもそれは得られない。自分が信じた道をただひたすらに信じ続けること。まずはそこから始まる。そしてその先にそれが「認められるかどうか」なのだ。いわば「通信簿」といったところか。

うまく言えないかもしれないけど、

最近僕の友人が「認められた」のだ。僕は表立っておめでとうを伝えていないけど、(こっぱずかしい)自分のことのように嬉しい、暖かい気持ちになった。

その友人は自分の信じた道をただひたすらに信じ続けた。それは途方も無い時間と労力を費やし、十分すでに多くの人から信頼を得ていた。だけど、僕たちの業界は「天井」が無い。生涯賃金は決まっていない。まさに青天井。そのステップを「他人様が認めてくださる」ことでひとつづつ登っていくのだ。

ヘトヘトで足元はおぼつかない。頭は常に微熱気味、引き返そうと思っても階段は無く、奈落の底まで続いているようだ。そしてやっとのおもいで「ひとつ」登っても、次のステップは姿も形も違う「登り方のわからないステップ」となっている。(ひどいでしょう?)

誰でも不安や恐怖がある。それをなんとかヘッジするための選択として、企業に雇用されるということを僕は尊く思う。それはそれで素晴らしい人生とも言える。

しかしながら、我々はその選択肢を放棄した側の人間なのだ。だから責任も尋常で無く重く、抱える悩みの質もちょっと種類が違ったりする。(優劣の話では無い)

自分の発言ひとつ、寝坊ひとつ、振る舞いひとつであっさりと「すべて」が瓦解する恐怖に「四六時中」対面すること。が最低限の資質だ。

その上でただひたすらに「自分を信じる」ことが仕事だ。

そしてそれは蕾のままで終わることも、大輪を咲かせることもある。どちらになろうとも、「信じ続ける」ただひたすらに。

彼は今回非常に大きなステップを超えた。仕事の規模はグンと大きくなるだろう。 そしてそれを自分のものにできるだろう。なぜなら彼は自分自身を今までもこれからも「信じている」からだ。それ以上の武器はない。まさに唯一無二そのものだ。

こっそりと「おめでとう」と書いておきます。

いつか我々にも剣を置く日が来るだろう。

でもそれはまだ随分先のことだ。


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