紆余曲折 って現代では必須なのでは

隣の芝は美しく見えるもの

一昔前までの日本では定年するまでひとつの会社、もしくは仕事に従事することが美徳であり、堅実であり、成功パターンとさえされていた。現在でもその風潮はいたるところに残り、大いに若者の進路を妨害している。親心としては自分の子供に「失敗」や「挫折」をして欲しくないと思うのは当然だが、「失敗」や「挫折」ほど人間を成長させるものはないというのもまたひとつの心理と言えなくはないだろうか。僕は「失敗」も「挫折」もさせてもらった。それに感謝さえしているのだ。

隣の丼はうまそうだ

転職は決してネガティブなものではない。現在の会社で例えば隣の席の奴がものすごく臭い。注意しても、上司に願っても改善されない。業務に支障をきたしている。としよう。

「なんだそんなことか」と思う人がいるのならその人は少しだけ考え方を改めた方がいい。 「誰かが何かを嫌になる理由」に「自分の物差し」をあてて測るのは大きな間違いだ。 当てはめて良いのは「常識」だけだ。

悩んだ末、転職したとしよう。その場合隣に臭い奴はいなくなる。それはその人にとってとてもとても素晴らしいことなのだ。いくらポルシェと言えども畦道を走るとなれば軍配は耕運機に下る。走れないところを無理に走ろうとするのはストレスに直結するのだ。それでは生産性も上がらなければ将来への期待もできないだろう。

仕事の内容、種類においても同じことが言える。自分が精一杯やっても思うような成果が上がらないのならば根本的な部分を変更しないといけない。そもそも適正がないのかもしれない。 その場合も「精一杯悩み抜いた自負」があれば転職はプラスに作用する。

堂々と胸を張って「やりたいこと」にチャレンジするべきだ。養うべき人間がいる人は難易度が上がるが、それでもちゃんと相談して挑戦してほしいなと思う。

「失敗上等」「挫折上等」である。

「あの時挑戦していたらどうなっていたかな」と考える人間よりも

「あの時の挑戦はここが失敗だったな」と考える人間であるべきだ

人間としての深みが全く違う。

 

大根も切れない侍など座敷の机で本でも読んでいれば良い。その刀が抜かれることはないのだから。

 

挑戦しないなら考えるだけ無駄である。

 

是非こちらもお読みください スカッと晴れる空 達成するということ


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