認めるという事から
誰もが失敗や挫折をした後頭の中で考えるのは、「自分が悪いわけではないのでは」という「模索」なのではないだろうか。謙虚な姿勢や振る舞いを相手に示したとしても、そこに「本心」が宿っていなければそれはただの「演技」であるし、ひいては「自分を殺す」行動そのものなのではないだろうか。
認めるのは勇気の要る事かもしれない。
自分が悪いから起こった事象を、色々な理由をつけて責任転嫁するのは容易いし、心の平穏も訪れるのかもしれない。認めてしまえば責任を取る事になり、どう考えても大変そうだ。だから責任を押し付けようとする。
誰だって怒られるのはいやだし、頭も下げたくないということなのだ。
しかしそれではいつまでたっても「本当の成長」は成し遂げられないだろう。
何者にもなれず生を全うする事になんの躊躇いもないのではればそれでいいかもしれないが、あなたがあなたである事を他人に「承認」してもらって、「信頼」を得るためには、自分の過ちをしっかり認め、反省し、努力する必要がある。
「あなたが悪いわけじゃない」
(自分が悪いわけじゃない)
というのは
自分で発表する事ではない。
他人さまが「認めて」くれるものなのだ。
人を悪者にする事でしか自分が救われないのであれば、それは自分に問題があるということ。
その事実に蓋をして強がる様はなんとも滑稽で、こちらのヤル気をどんどん萎ませてくれる。
何も生まれないその所作を、人がなおしてあげる事もまたできない。
自分で気付いて勇気を持って行動する事でしか変われないのだ。
思い返してほしい。
親の大切にしているものを壊してしまったり、お味噌汁をこぼしてしまった時、すぐに「ごめんなさい」をして、それでも酷く怒られた人はいないだろう。
「怪我はないか?」「火傷していないか?」
暖かい「心配」を享受したはずだ。
同時に、隠そうとしたり言い訳をした時はキッチリと罰を受けたはずだ。
30過ぎの大人と呼ばれる年齢になってもそれでは、
とっても恥ずかしい。
と僕はおもいます。
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